中央区八丁堀の富士塚 鐵砲洲稲荷神社へ

東京の富士塚

鉄砲州富士

所在地:東京都中央区湊1-6-7 鐵砲洲稲荷神社 境内
登れる時期:危険なため登拝禁止となっております。見学は通年可能。
鉄砲州稲荷神社

こちらは東京都中央区で唯一の富士塚であります。

寛政2年(1790年)に原型となるものが造築されました。何度かの神社の移築によりこちらの富士塚も移築を繰り返しております。

明治3年(1870年)に新地に移築され、明治7年(1874年)再築されています。
またその後は現在の鐵砲洲稲荷神社の場所で境内のなかで明治18年(1885年)、昭和3年(1928年)、昭和11年(1936年)と3回移築されている珍しい歴史の持ち主であります。現在のものの高さは5.4mであります。

歌川広重の『絵本江戸土産』では本殿より大きく描かれており、当時はかなり人気があった富士塚と想像されます。

 

本殿への参拝を終え右奥へと進むと富士塚が見えます。向かう途中に力石というものがあります。

こちらが富士塚全体図です。ビルに囲まれております。奥まった場所にありますので人もあまりいなくじっくりと見学できました。

下部にある大きな穴の胎内窟があります。人が入れそうな大きさです。

富士山の溶岩のようでないトルコのカッパドキアを思わるこの岩は富士塚には珍しいです。窪みに雨水が溜まっており幻想的です。

鉄砲洲富士についての説明の石碑です。ダメージ多めで難解ですがなんとか読み解いて上部文章に訳しました。

大きく登るな危険と書かれていました。登りませんでした。次は唯一登山できる7月1日に来てみようかな?

下から頂上に見える浅間神社を拝みました。

鉄砲州稲荷神社

 

 

鐵砲洲稲荷神社へのアクセス

所在地:東京都中央区湊1-6-7

・JR京葉線 八丁堀駅 出口B2より徒歩5分
・東京メトロ日比谷線 八丁堀駅 出口A2より徒歩5分
・東京メトロ有楽町線 新富町駅 出口7より徒歩10分

管理人は今回鉄道を利用せず自転車で向かいました。鉄道の場合は八丁堀の真ん中である新大橋通りと鍛冶橋通りが交差する交差点に出れば、すぐです。

 

鐵砲洲稲荷神社の基本情報

鐵砲洲稲荷神社は『てっぽうずいなりじんじゃ』と読みます。

841年、平安時代初期にこの地で続いた凶作に教えられるところがあって、自らの産土の国魂神を祀り、日々の御守護を祈願したものから始まります。

1554年に始まる足利義輝の治世に形成された京橋地区一帯の土地生成の産土神(うぶすなのかみ)が丸られております。

その後、埋立てが進み現在の京橋あたりに御遷座され、さらに1520年代末に現在の新京橋へさらに御され八町堀稲荷神社の名称になりました。

徳川幕府になり土地の埋立てが進み、寛永元年1624年に鐵砲洲にさらに御遷座され、今日の鐵砲洲稲荷神社の基礎を築きました。

江戸時代には、米や酒をはじめっとする消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきたため、鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護の神として知られています。

 

鐵砲洲稲荷神社の本殿

こちらの本殿は大正12年(1923年)の関東大震災では大きく被害を受けましたが、昭和10年(1935年)以降に再興されました。その後、昭和20年(1945年)に東京大空襲が襲いましたが被害を免れ、昭和初期の神社が現在まで残っております。

本殿に隣に神社には珍しい小柄な二宮金次郎(尊徳)像がありました。

 

 

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